ぶっちゃけ僕の中では、USJには負けるとしても海遊館、大阪城、に迫る勢いだと思うのですが……
なんせあまり知られていません。
大阪のオフィス街 淀屋橋。ビルに囲まれてひっそりと残る江戸時代の町家風の建物。
仕事で疲れたあなた、たまには忙しさを忘れてのんびりと史跡めぐりしてみませんか?
幕末の若者たちの熱き想いが、あなたにパワーを与えてくれるはずです。
ぜひ、ご堪能ください。
適塾とは
京阪本線 または大阪市営地下鉄御堂筋線 淀屋橋駅8番出口から徒歩2分
開館時間 午前10時~午後4時
休館日 月曜日、国民の祝日の翌日(土・日・祝日の場合は開館)、年末年始(12月28日~1月4日)
参観料 一般 260円 高校・大学生140円
大阪のオフィス街、淀屋橋。まわりは銀行や保険会社の名を冠したビルがたくさん立ち並んでいます。
適塾は1838年に緒方洪庵(おがたこうあん)という人が開いた、蘭学塾です。
現存する蘭学塾の遺構は、日本でここだけ。
出身者は一万円札で有名な福沢諭吉、長州藩出身で日本の陸軍の発展につくした大村益次郎、幕末の攘夷運動に身を投じて若くして亡くなった橋本左内(大河ドラマ「西郷どん」で風間俊介さんが演じていましたね)など、日本の近代化につくした人々が多数。
25年の間に、約三千人の弟子が学んでいたと言われています。
現在の大阪大学の前身となっており、今でも大阪大学が建物の管理をしています。
蘭学って何?
江戸時代の日本は鎖国をしていました。
朝鮮・琉球・中国・オランダ と限られた国としか貿易ができなかったんですね。
というわけで、当時ヨーロッパの先進国から技術を学ぼうと思ったら、オランダ語で書かれている書物を読まないといけませんでした。
オランダ語を勉強して、そして書物で医学・工学・天文学などの知識を学ぶ。
これが、蘭学です。
外国語を習得するというのは、現代でもなかなか難しいこと。
辞書もまともにない時代。オランダ語の本を翻訳するのは暗号解読に近い作業でした。
1774年、杉田玄白が4年間の困難のすえ『解体新書』を出版します。
そこから「うわっ! ヨーロッパの技術すげえ!」ってなって蘭学ブームが巻き起こります。
適塾が誕生したのは、そこから約60年後。
武士の社会は階級社会。
基本的に生まれた家柄で、生涯の職業や給料が決まります。
そんな武士たちの人生逆転の数少ないチャンス。
それが、武芸と学問。
優秀な成績をおさめて郷土に帰れば、藩主に認められて立身出世の機会がありました。
また、「適塾で医学を学んで故郷の病気になやむ人々を救いたい!」
そんな純粋な想いを持った若者も多かったことでしょう。
当時の若者たちの熱き想い! それをぜひ現地で体感いただければと思います。
適塾を開いた 緒方洪庵
↑ 【適塾の隣にある、緒方洪庵の像】
緒方洪庵(おがたこうあん)は1810年 岡山県で足軽の三男として生まれました。
幼い頃から体が弱かったため、武芸で身を立てるのはあきらめて、医師を志したと言われています。
父親が大阪に転勤になったのに同行して、まずは大阪で蘭学を学びました。1830年に江戸へ出立。その後、当時異国との玄関口になっていた長崎にも遊学しています。
1838年、28歳の時に長崎から大坂に戻り、適塾(正式名は「適適斎塾」)を開きました。医師をしながら蘭学を教え、以後大坂で医者としての地位を確立。
また牛痘という予防法を使った「除痘館」を設立し、不治の病とおそれられていた天然痘の撲滅に尽力しました。
1862年に幕府から江戸での奥医師を命ぜられ、江戸へ赴きますが、そのわずか10ヶ月後に53歳で死去。適塾はその後、大阪大学医学部の源流となり、洪庵は明治以降の日本の医学界の祖として、大きな足跡を残しています。
洪庵の弟子には、上記の有名人のほか、日本各地で医学の発展につくした人々が大勢います。
たとえば日本赤十字社の創始者、佐野常民も適塾の出身です。
適塾の内部を見てみよう
適塾はもともと大阪の商家だった建物で、縦長の作りになっています。
ちなみに内部は展示物以外は写真撮影可です。
↑ 受付を入って中庭をすすむと、緒方洪庵の書斎だった部屋があります。
竹組を使った丸窓も、なんとも味があっていいですね。
庭をながめながら、思索にふけるのも、オツなもの。
↑【二階への階段】
一段の高さが30センチ以上あり、めちゃめちゃ急です。
実際僕は落っこちそうになりました(汗)
↑【二階 ヅーフ部屋】
オランダ・日本語の辞書は適塾に一冊しかなく、塾生は奪い合うようにしてこの辞書を使って日夜勉学に励んでいました。
ボロボロになったヅーフ辞書(オランダ商館長ヅーフが作成した蘭和辞書)の複製が展示されています。
辞書を保管していたこの「ヅーフ部屋」には時を空けずに塾生が押しかけ、夜中になっても灯が消えることがありませんでした。
↑【二階 塾生の大部屋】
塾生のうち、下宿先がないものはここで寝泊まりしていました。
適塾は実力主義で、成績の良いものから順番によいスペースを確保できたそうです。
また、写真中央の柱には塾生同士の争いの際にできた刀傷があります。
勉強の場で刀を抜くとか、どんだけ! って感じですが……
それだけ、みんな激しい想いを持っていたということなのでしょう。
↑ 二階の大部屋から中庭を見下ろす
勉強に疲れた学生たちも、
ふと故郷に想いをはせていたのでしょうか?
若き緒方洪庵をモデルにしたドラマ
おまけ
若い時の緒方洪庵をモデルにしたテレビドラマをご紹介します。
2009年のNHK土曜時代劇 『浪花の華 ~緒方洪庵事件帳~』
ヘタレな若き医学生洪庵( 窪田正孝さん)と男装の女剣士( 栗山千明さん)が大阪の街を舞台に奇妙な事件を解決していくというストーリーで
なんせうたのは、ヘタレ主人公と 戦うヒロインという組み合わせが大好物!
毎回見てました!
フィクションなのですが、当時の大阪の様子や医師と患者たち、そして蘭学を取り巻く雰囲気がつかめますので、興味のある方は動画を見られることをオススメします。
いつか再放送してほしいものです。
ちなみにブレイク前の木下ほうかさんも出演されてますよ。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
オフィス街のすぐ近くにありますので、就活の合間に、あるいは出張で大阪に行った時にもサクっと寄れると思います。
僕は10年以上前の就職活動の時、初めてこの適塾に行って幕末の青年たちの足跡からパワーをもらいました。
大阪の穴場スポット、適塾、ぜひ直接行って時代の息吹を感じてみてください。