こんにちは、4月21日のライブの興奮がまだ醒めないうたの(@utano_shion )でございます。
今回は、シンガーソングライター美波さんの魅力のヒミツにせまる、美波論第二弾。
美波さんが尊敬してやまない、尾崎豊さんとの関係を僕なりに書いてみたいと思います。
およそ30年前、多くの若者を魅了し、10代のカリスマと呼ばれた尾崎豊さん。
そして、彼のライブで歌う映像に衝撃を受け、音楽を志すことを決めた美波さん。
単に音楽やスタイルを模倣するのではなく、自分なりのやり方で、さらに音楽を昇華していく女性シンガーソングライター。
尾崎さんとの対比を交えながら、さらに彼女の魅力に迫ってみたいと思います。
尾崎豊さんってどんな歌手
1983年12月、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中にデビュー。
ライブでの熱烈で破壊的なパフォーマンスや、夢や愛、生きる意味をストレートに表現した赤裸々な歌詞など、社会や学校の中で感じる葛藤や心の叫びを表現した楽曲の数々が1980年代から1990年代初頭にかけての若者を中心に多くの人から共感を呼び、カリスマ的存在となる。
その作品と活動、精神性は、日本の音楽シーンに多大なる影響を与え、作品に迸るメッセージは死去から25年以上経過した現在でも多くのファンやミュージシャンに支持されている。
1992年、あまりにも若すぎる26歳での突然の死は、社会的にも大きな衝撃を与えた。
死後25年を過ぎてもなお尾崎を慕うものは絶えず、新たなファンを生んでおり、彼が遺した曲の数々は多くのアーティストにカバーされ続けている
以上、Wikipediaより引用。
うたのは1982年生まれなので、多感な中高生の頃にはすでに尾崎豊さんは他界されていたのですが、それでも周囲で聴いている友達は多く、とても人気がありました。
僕にギターを教えてくれた師匠も、尾崎豊の曲を得意としていたました。そこから影響されて聴いたり、僕も拙いながら曲を弾いたりしてました。
間違いなく、僕も尾崎豊さんにシビれていた若者のひとりです。
類似する時代背景
尾崎豊さんが活躍した80年代。
当時、日本は空前のバブル好景気にわいていました。
「働いたら働いただけ豊かになれる」
「日本は世界一の経済大国なんだ」
大人たちが浮かれる一方で、若者は、校内暴力、飲酒や喫煙、偏差値第一主義の教育など、様々な問題とやりきれない思いを抱えていました。
そんな若者たちの思いを代弁し、熱烈な共感を生んだのが尾崎豊さんでした。
そして時代は約30年後の現代……
戦後最長の景気拡大(と一部マスコミからは言われている)アベノミクス。
大企業が順調に業績を伸ばし、インターネット等の技術革新によって我々はさらに豊かな生活を手に入れた……ように見えます。
その一方で、ひきこもり、不登校、格差社会、そして少子高齢化やブラック労働など、現代の若者も様々な不安を抱えています。
そんな時代に登場した美波さん。
周りからの重圧、友達とうまくやっていけない、インスタ映えなどSNSで創った自分と現実の自分のギャップ。
そんな現代の若者たちの悩みを代弁し、寄り添うような楽曲を多く作成しています。
抑圧された想いが歌となり、若者の心を打つ
「盗んだバイクで走り出す」という衝撃的な歌詞や、10代の学生たちの「やり場のない気持ち」がテーマの『15の夜』。
そこから少し成長して、親や周りのことも少し見えるようになってそれでも「何のために生きているのかわからない」「強く生きなきゃ」という想いをつづった『17歳の地図』。
尾崎豊さんは幼少の頃、転校先の小学校になじめなかったり、バイク事故や喫煙がキッカケで高校を中退するなど様々な経験をされたようです。
そんな抑圧された気持ちをストレートに歌にして、多くのファンの心を掴んでいます。
一方、美波さんも
泣きたいのに泣けない、笑いたいのに笑えない、世の中つらさを水中でも息苦しさに例えた『水中リフレクション』。
他人への嫉妬や自分への劣等感、そして自分に正直に生きることの難しさを綴った『正直日記』。
「これは私のことを歌ってる」「わかる! ほんまそれな!」「とにかくエモい!」
そう思っているファンはきっと多いハズ。
多感な時期の若者の気持ちを、うまく言葉にして表現しています。
美波さんならではの魅力
一方、単に尾崎豊さんとの共通点があるだけではなく、美波さん独自の魅力も存在すると僕は思います。
例えば、美波さんはファンとの距離がとても近い。
たまに見せてくれるTwitterでのお茶目な姿。
ファンからすかさずツッコミが入ったり。
ファンが書いたイラストもたまにリツイートしてくれたりして。
ライブしないと干からびてくる
— 美波 (@osakana373) 2019年3月9日
500円で嫁が買える時代ありがとう pic.twitter.com/7w3FbFKg7H
— 美波 (@osakana373) 2019年3月19日
ツイキャスのトークやライブでのMCもユーモアに富んでいて面白いですよね。
「今晩告知があります、全骨待機でお願いします」
(ネットスラングの”全裸待機”をもじったものだと思われる。
「うちが食べた焼き魚の骨、マット運動後の魚みたいに粉砕骨折してんのよ」
「骨はちゃんと骨らしくあれよ」
そんなやりとりから生まれた名言がたくさんあります。
笑いの本場大阪で、美波さんは毎回きっちり観客から笑いをとって帰っていかれますからね。
2人は性別も違うので、それによってファン層も少し異なるようです。
尾崎豊さんは、ライブの映像を見ると「ワ~」とか「キャー」とか黄色い声援が多いんですよね。
どちらかというと女性のファンが多かったのでしょうか?
一方、美波さんはライブに行くと7割くらい男性です(笑)
可愛らしいルックスと繊細かつパワフルな歌声。
一人称に「僕」を使っている歌もいくつかありますよね。
『Prologue』、『正直日記』、『main actor』など。
そんな所も、女性だけではなく男性の共感を呼びやすいのかなと。
ちなみにTwitterでアンケートでも、美波さんは男性ファンが多いという結論になりました。
ちょっと次の記事のネタにしたいので、質問に答えてくだされ🙇♂️#拡散希望#team373#美波ちんちんかいかい
美波リスナーに質問、あなたの性別は?
— ファンタジスタ!うたの🐟🎸美波4/21大阪 (@utano_shion) 2019年4月25日
その後の尾崎豊、そして美波さんは?
10代の代弁者として一世を風靡した尾崎は、20歳になり方向性を見失い突然無期限活動休止を宣言し単身渡米する。当時曲を生み出せないことに苦悩していた尾崎は、何の収穫もないままその年の末に帰国。
1987年、覚せい剤取締法違反で逮捕され精神的に低迷。
個人事務所を立ち上げるも経営面の管理のほかにプロモートからライヴスケジュール自ら取り仕切らなければならず、多忙な日々を送るなかで、ふたたび精神的に追い詰められた尾崎は自殺を図る。
Wikipedia より引用
亡くなってさらにカリスマが増した。
伝説になった。
そんな声もあります……。
これはファンの勝手な願い事なのですが。
美波さんには生きて伝説になって欲しい。
ぜひ長く音楽を続けていって欲しいなと個人的には思います。
正直、色々な方面からのプレッシャーはあるんじゃないかな。
ライブもファンから物凄いエネルギーが来ますよね。
それを小さな体で一身に受け止める。
さらに自分のメッセージとして放つ。
自分のやりたいことを貫く気高さと、難しさを美波さんの姿から学んだ気がいたします。
まとめ
今回は美波さんと尾崎豊さんとの共通点を探ってみました。
そして尊敬するアーティストを土台に、さらに自分の音楽を創り上げていく美波さんの姿勢を僕なりに語ってみました。
美波さんもかつてライブで「今歌っている歌って、ぶっちゃけ何時まで歌えるんだろう? そんなふうに悩んだこともありました」そんな気持ちを吐いていました。
メジャーデビューを経て、これから音楽の世界でやっていけるかは今が踏ん張りどころ。
様々な重圧があるかと思います。
それでも、前を向いて進んでいく!
僕もそんな彼女の姿に勇気をもらっているファンの一人です。
美波さんが見せてくれる光景がこれからも楽しみです。
進化し続けるシンガーソングライター、そんな美波さんをこれからも応援していきたい!
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